イタリアは西ヨーロッパに位置する国です。イタリアは昔から日本人観光客が多い国です。まずその理由として、見所が各地にあります。イタリアはもともと各都市が都市国家として栄えてきました。よって、各都市とも十分な機能や建築物を有しており、周遊にはもってこいの国なのです。古代帝国のローマ、ファッションの都ミラノ、水の都ヴェネツィア、花の都フィレンツェ、斜塔が有名なピサ、南部の港町であるナポリ、スキーリゾートの盛んなトリノと、いろいろありますね。イタリアと言えば世界的な観光立国として有名です。その観光地の数、質共に世界で有数ではないでしょうか。そして太陽の国と言われるように、その国民性も開放的であり、他の国から来た観光客を大変に歓迎してくれるでしょう。そのイタリアを十分に満喫するためにもまずイタリアに行く際には、その観光地の多さに惑わないように綿密にスケジュールを立てていったほうがいいでしょう。まあ、日にちに余裕のある旅ならばのんびりマイペースに行くのも一興ですが。
■「城下町」に響く復旧の音
東日本大震災で震度6強の激しい揺れに襲われた茨城県日立市は、日立製作所を頂点に多くの系列企業が密集する企業城下町だ。震災で多くの工場が操業停止となり、日立港が使用不能になるなど生産、物流が大きな打撃を受けた。記者は3月11日、日立関連企業の工場を取材している真っ最中に震災に遭遇した。それから約1カ月−。再び訪れた日立市は復旧に向けて着実に動き始めていた。(渡部一実、古川有希)
カーン、カーン、ゴォーッ…。東京ドーム13個分(約60万2千平方メートル)の敷地にハンマーの甲高い音とクレーンの重低音が交錯する。日立製作所日立事業所の海岸工場。火力発電所向けの蒸気・ガスタービンや発電機の生産拠点だ。
場内では従業員がタービンの羽根を一枚一枚組み上げ、表面をヤスリで丹念に磨いていた。「鉄の匂いにこの音。やはり現場が一番です」。操業再開の喜びをかみしめるように語った。
同事業所は明治43(1910)年、創業者の小平浪平が国産初のモーターを完成させた同社の原点だ。グループ企業だけで約140工場が事業所や周辺に集積。震災で工場の壁や屋根が壊れ、3週間近くも操業を停止した。その被害は多くの系列企業にも及んだ。
3月11日午後2時46分。記者(渡部)は関連会社の工場建屋にいた。足元から頭上に突き抜ける強烈な縦揺れ。窓ガラスが割れ、ボルトが宙を舞った。2〜3トンの工作機械が床の傾斜を静かに滑る。「やばいぞ。外に走れっ」。われに返ったのは、避難場所となった建屋外の芝生の上だった。
日立製作所や富士電機などが出資し、変電所や鉄道会社向けの変圧器などを製造する日本AEパワーシステムズの国分事業所。再び訪れると、窓ガラスは交換され工作機械もコンクリートで床に固定されていた。
天井から伸びる可動式クレーンの検査を終えて本格的に操業を再開したのは3月28日。中断していた米国向け大型電流遮断器の耐久試験も始まった。4階部分が倒壊して使えなくなった事務所棟はプレハブで代行する予定だ。生産能力は6〜7割まで回復。田中豊一常務は「4月中に百パーセントに持っていけそうだ」と語る。
物流機能の回復はこれからだ。国道245号の復旧が遅れ、迂回(うかい)路を使わざるを得ない。「民家のすぐ脇を通る狭い道では、300トン級の大型変圧器を出荷できない」(田中常務)
日立港も壊滅状態のままだ。4メートル超の津波にのまれ、液状化現象で岸壁の一部が断裂。輸出待ちの高級車が火柱を上げ、県日立港区事業所の掛札健一港営課長は「戦場かと思った」。
復旧作業は水深や岸壁調査から開始。船が着岸し、車両が走れるよう岸や路面の亀裂に砂を敷いた。3月末には一部岸壁にタンカーが入港。それでも港湾としての運送能力は「本来の1割にも達しない」(荒野重昭・同事業所長)。本格復旧は5〜6年後。日本有数の企業城下町が本来の生産・物流機能を取り戻すまでには長い道のりが続く。
■「街が沈む」強固な結束 撤退、移転、考えていない
東日本大震災で茨城県日立市にある日立製作所日立事業所の生産ラインが停止したことは、街全体の機能が止まることも意味した。
「作りたくても材料がない。納品したくてもできなかった」
市内でエレベーター用部品などを製造する吉野電業の吉野邦彦社長は、震災直後をそう振り返った。
主力製品はエレベーター用のマグネットコイル。材料のエナメル線は日立電線から仕入れ、製品の9割を日立製作所水戸事業所(同県ひたちなか市)などに納める典型的な下請けだ。
生産設備に直接の被害はなかったが、材料供給が滞り3月のコイル生産量は例年の半分に落ち込んだ。材料をかき集めて製品化しても、被災した納入先がスペース不足を理由に引き取りを拒んだこともあった。「入り口」と「出口」の双方がふさがれた。
日立系企業が提供する素材を地元企業が部品に加工し、“アンカー”の日立製作所が最終製品に組み立てる「日立→下請け→日立」の製造工程。そのすべてを一つの地域内に集積した企業城下町の強みが、震災直後には逆にあだとなった。
実際、直接の被害がなかった中小・零細の下請け工場の稼働も完全にストップした。ある下請け企業の経営者は「日立がくしゃみをすると高熱が出る。日立には一時停止でも、われわれには永久停止になりかねない」と嘆いた。
「うちが頑張らないと街が沈む」。そんな危機感から日立製作所は復旧を急いだ。日立事業所には、被災翌日から従業員らが自主的に出勤し、設備や製品の点検、修理を行った。
「3月の減産分を5月には取り戻しますから。吉野さん、追い付いてきてくださいよ」
4月上旬、日立の担当者と面会した際にハッパをかけられた吉野社長は、頬を緩めてこう答えた。「フル稼働しないと間に合わない。ゴールデンウイークが吹っ飛ぶなあ」
日立事業所では現在、生産能力が被災前の9割近い水準まで回復している。今月3日には、地震で遅れていた九州電力向けのガスタービンの出荷にもこぎ着けた。「数カ月の操業停止は覚悟していた。復旧のスピードに一番驚いたのは私自身だ」と日立製作所の中西宏明社長は語った。
今後は、震災による原子力発電所の運転停止で電力の供給不足が深刻な東京電力や東北電力から、火力発電用ガスタービンの引き合いが強まることが確実だ。日立市内にある日立事業所の海岸工場はラインをフル稼働し、生産力を現在の年間20基から40基に倍増する。
日立市ではいまだに余震が続き、港湾や道路など物流インフラでも制約が続いている。それでも日立の中西社長は「撤退? 生産移転? そんなことは毛頭考えていない。ここはわれわれのホームタウンだから」と力を込める。
復興に向けた最大の原動力と期待しているのも、やはり企業城下町として長年培ってきた強固な産業構造だ。総人口の4割を日立系企業の従業員とその家族が占める日立市では、「隣の工場」の被災・復旧が自社の業績や従業員の生活を大きく左右する。それは、あだともなるし、恩恵ともなり得る。決してひとごとではないのだ。「地震前よりももっと良い地域」(中西社長)を目指して街全体が結束しようとしている。(渡部一実、古川有希)
【用語解説】日立市
茨城県北部に位置し、人口は約19万6000人(平成22年10月1日現在)。日立製作所の創業地として知られ、愛知県豊田市と並ぶ企業城下町。全人口の約4割が日立関連企業の社員とその家族。工業統計調査による21年度の製造品出荷額は約1兆2500億円。
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